第4章 情報教育で大切なことは何か




第1節 学習の中にコンピュータをどのように取り入れるのか




 これまで見てきたように,情報教育の目的は,コンピュータの操作を理解することではない。自分にとって有益な情報は何か,それをどうやって手に入れ整理するか,わかったことを生かして自分の思いをどう表現し発信していくかに気づくことが大切である。そういう活動の主体となる「自分」を見つけることこそが情報教育の真の目的である。

 授業を構想する際にも,先に「どうやってコンピュータを使うか」を考えるよりも,子供が「自分の課題だと感じて学習する場面」を教師が意図的に用意することが大事である。子供が,学習の流れの中にコンピュータの活用を取り入れることが有効かを考え,「コンピュータを使ってみようかな」と自然に思えるような,授業のデザインを仕組むことが必要なのだ。

 最初から「コンピュータにまとめよう」ではなくて,例えば,2年生の生活科で「五福の地域のことを,1年生に教えてあげよう」と働きかけ,その結果をコンピュータを使ってまとめようかなと思うような学習課程を仕組むことが,われわれ教師の仕事になってくるわけである。




 情報教育的視点をもって授業を構想したとき,われわれは,単元のねらいと同時にコンピュータの活用を通してのねらいも考えるわけであるが,この二つをそれぞれつきつめて考えると,その学習を通してどのような子供を育てたいかという単元観,目指す子供像という点で一致することに気づく。

 また,「表現」という観点で考えた場合,自分の手に入れた情報について,「どのようなメディアを使い」「誰に対して」「何を」発信するかを重視しなければならない。そういう思いを明確にしながら情報に関わることが,主体的に表現することにつながると思う。コンピュータを使うか使わないかを選択するのは,学習の主体者である子供である。そういう学習の中では,コンピュータは,学習のねらいを達成するための道具の一つにすぎないということに気づくだろう。

 情報教育は,時間を特設して特別なことを指導する教育ではなく,これまでの学習の中にも位置づいてきた内容である。これまでは,あまり意識されてこなかったが,教師がほんの少し情報教育的視点を持つだけで,子供たちに十分にはたらきかけられるのではないかと,私は考えている。




 コンピュータを使った学習は,人間的な温かみにかけるからという批判がある。確かに,機械に向かって,キーボードを操作する姿には,一見「おたく」的な冷たさを感じるかもしれない。しかし子供たちは,コンピュータに表現することで,自分自身の思いや願いと対話しているのである。ネットワークを通して取り出した情報によって,その情報を発信した人となりと関わっているのである。

 コンピュータは,結局は人と人とのつながりを深めたり広げたりする,増幅装置の役割を果たすのである。「コンピュータ=冷たい機械」という図式は,そういう思いを抱いている人の固定観念にすぎない。コンピュータの活用の中に,「人とのつながり」という視点を取り入れた使い方を考慮したなら,その使い道は無限に広がるであろう。



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