第3節 なぜ「総合学習」が求められるのか




 金大附小の研究会では,「新しい波となりうるか総合学習」と題したシンポジウムが開催された。


 その席で,有田和正氏(愛知教育大学教授)は,総合学習について次のような見方を提示している。

公開授業,6年「総合学習としての国際理解」での有田和正氏



・総合学習は従来は教科の一つとしてとらえられてきた。しかし,中教審答申によって内容が示され,教科が相互に乗り入れする,「領域」としてとらえるようになった。

 総合学習は,各教科の中で共通する内容やねらいをつなぐものであり,その切り口として,人間,環境,国際理解などの内容が必要になってくる。教科を越えたつながりという点では,すべてが何らかの観点でつながっていると見なせるが,単元を構成する際には何らかの切り口が必要であり,中教審では,上記のような内容を切り口として例示した。

 総合学習は,小学校3年生以上において実施されることになったが,それは,低学年においては,生活科がすでに総合学習の性格をもっているからである。

 低学年の生活科と中学年以上の総合学習はこれからの教育の核となるものではないか。



・総合学習は,教え込み,理解させる学習から,子どもが自ら学ぶ学習へと質的変化を図るものである。そのためには,教師は,どんな力を身につけるか,またそれをどう評価するかという視点を持ち,子どもに対して自由な学習を保証し,体験的な問題解決能力を身につけられるようにする必要がある。




 また同席した,北俊夫氏(文部省初等中等教育局教科調査官)は,総合学習に必要な要素として以下の3つをあげている。

@教科横断的テーマであること  従来の教科による学習に比べて,より統合的に人の営みをとらえることができる。
A現行教科とのかかわり  教科での資質,能力を総合学習でどう生かすか。また,総合学習で得た学び方を,教科の学習の中にどうフィードバックさせていくか。
B子供の学ぶ力,調べる力の充実  教師は学習を引っ張るのではなく,子供一人一人の学び方を認め,時間も十分に保証する。学校の中だけではなく,地域との関わりも大きなポイントになる。


 そして,このような要素を生かした総合学習の見方について次のように述べている。

「総合学習での教師の役割は,学習の動機づけのきっかけを作るというような支援が中心となる。また,子どもが主体的に調べ,学ぶ学習をデザインする際には,子どもの問題意識を高めるような意義が,授業の中で見い出せるかも考慮すべき点である。
 総合学習で,子供に身につけさせたいと考えられているのが「生きる力」である。

 今,問われる「生きる力」には,2つの今日的な意味がある。
 1つは「物質的に満たされた豊かな社会の中で生きる力」であり,もう1つは,社会主義国家の体制の変化と,バブル経済の崩壊による「モデルとなる社会の見いだせない中での生きる力」である。そういう社会にあって問題を解決していく力である。

 例えば,夏休みの自由研究について考えてみるとよい。教師は,子どもに自分で自由研究ができる力を身につけさせてから,課題を見つけださせているだろうか。「生きる力」とは,変化し続ける社会の中で,自ら問題意識,学習意欲を持ち,それを解決するための情報活用能力を活用する力のことである。

 つまり,人生の中で自由研究できる力,生涯学習しようとし続ける力をいうのである。」


総合学習について語る有田氏。右端が北俊夫氏。




 「総合学習」が必要とされる理由として,中教審第1次答申第2部第1章(1)−[5]には,次のような記述がある。

「子供たちに[生きる力]をはぐくんでいくためには,言うまでもなく,各教科,道徳,特別活動などのそれぞれの指導に当たって様々な工夫をこらした活動を展開したり,各教科等の間の連携を図った指導を行うなど様々な試みを進めることが重要であるが,[生きる力]が全人的な力であるということを踏まえると,横断的・総合的な指導を一層推進し得るような新たな手だてを講じて,豊かに学習活動を展開していくことが極めて有効であると考えられる。」

 これらの総合学習の理念を理解しないまま,カリキュラムを編成してしまうと,現行の教科学習の並べ替えをしたにすぎないという結果になる心配がある。


 総合学習の内容は,おそらく社会科的,理科的テーマが中心となる。それは,知識内容ではなく,社会的・理科的事象に対する見方,考え方,調べ方といった表現内容・方法に関わる部分であり,社会科や理科での目指す子供像として,従来より考慮されてきた内容である。総合学習が実施されたときには,社会や理科からその内容を大胆に取り込んでカリキュラムを編成する必要がある。

 例えば「人間」というくくりで,理科からは「人間の身体と成長」,保健からは「第2次性徴」「生命の誕生」,社会からは「人口の分布と過密・過疎」「高齢化社会と政治」といった具合に,あちらこちらの教科に散らばった内容を,総合学習に集約することができる。
 子供たちは,「教科」の枠を離れて,自分の探求意欲のおもむくままに自由に追究していくことができる。また,これまで,教科の学習のときには意欲的であったが,いったん学習が終わってしまうと学んだ内容が生活に結びつかないことがあったが,教科の枠がなくなることによって,学習したことを日常生活にいかしていこうとする意欲づけにもなるのではないだろうか。
 また,教科内容を大胆に総合学習に取り入れることで,教科の学習内容が自然に精選されていくという利点もある。



 総合学習のカリキュラムについては,学校での弾力的扱いが認められる。そのかわり,これからの学校は,各校におけるカリキュラムの具体性と自己責任が問われるようになるだろう。これまでは,指導要領の内容をこなすのに精一杯であったが,将来的には指導要領の内容も大幅に厳選され,カリキュラム自体を地方教育委員会単位,学校単位で,地域の実態に応じて考えていく自由が認められるということなのである。従って,これからの教育では,教師自身に,「どんな子供を育てたいか」「どんな教材をどのような学習の流れの中に位置づけるか」といった思いが必要とされるのである。このことは,教師自身の生きる力が問われることにほかならない。

 学校においては「目指す子供像」を十分に共通理解し,それを実施していくための総合学習を考えるべきである。

 そして,「生きる力」を高めるための総合学習を進めるには,単元を,さらには年間を見通した授業のデザインと,子供の意識が自然にその流れにのるような教師に支援が必要となる。


 それは,これまでの教科学習の枠の中でも考える必要があったことである。しかし,総合学習という教科の枠のない学習では,それがより重視される。




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