第3項 金大附小の総合学習の特色 



(1) 単元をどのように構成するか

 金大附小の取組は,身近なところから教材を発掘し,実際にその場所へ出かけていったり,自分の視点から調べる学習を多く取り入れたりする体験的な学習を積極的に取り入れている。体験を通して,子供たちは,環境の問題が自分たちの生活の近くにあることを,実感的にとらえることができたといえる。



 ところで,実際のところ,子供たちにとって「野田山」というのはどういう存在なのであろうか。

 今回は「木立の立ち枯れ」を切り口に環境の変化について考えるといった,焦点を絞った展開であったし,それについての考えを深めることができた。しかし,総合学習として考えるならば,「環境の変化」に絞った取組は,幅広い視点で多面的に考えたり,疑問を解決することによって心が揺れたりする機会を,かえって子供たちから奪ってしまうのではないかという心配がある。

 野田山そのものをどうとらえるかという視点があり,その中から,「みんなで考えたい環境に関する疑問」を明らかにしていった方が,さらに子供の思いに沿った学習課程になったように思う。環境破壊的なアプローチばかりではなく,環境保全の取組,野田山の自然に対する関心・疑問,野田山の歴史に対する関心・疑問など,より広い視野で野田山を見つめることができるだろう。そのときには,「総合学習(環境)」という領域の中で,さらに「野田山」というテーマのもとに,年間を見通した大きな単元を構想することも可能である。



 今回の金大附小での取組が,そういう構想の中に位置づいているものならば,その構想も明らかになると,これから総合学習に取り組もうとしているわれわれにとっても大いに参考になる。




(2) 教師とゲストティーチャーの役割のちがいは何か

 また,ゲストティーチャーの役割についても考慮すべき点があるように思った。

 1996年発表の中教審第1次答申の第2部第1章(2)−[3]には,
「学校外の社会人の指導力を,学校教育の場に積極的に活用することを提言したい。
 幅広い経験を持ち,優れた知識・技術を持つ社会人を活用することは,学校の教育内容を多様なものとするとともに,特に,子供たちに社会性や勤労観・職業観を育成したり,実技指導の充実を図る上で有効と考えられる。
 また,ともすれば閉鎖的となりがちな学校に,外部の新しい発想や教育力を取り入れることにより,教員の意識改革や学校運営の改善を促すことも期待される。」

という記述がある。

 こういう地域との連携の中での教育を考えたときに,ゲストティーチャーの存在は大きな意義がある。



 金大附小の取組では,「ゲストティーチャーは専門性が高い」という子供の意識があり,同じ内容を担任の教師が語るよりは,はるかに意欲的に理解することができたように思う。しかし,難解な用語があったり,子供たちが調べたことに対する補足説明が中心であったりすると,時間の長さによっては,子供たちにはつらい時間になることもある。

 この単元の目的である「身近な自然の中にあるサインを見落としていないか関心を持って見ていこう」という環境への見方に対する価値観を深めるためには,「環境というものをどうとらえている自分があるか」という認識が必要である。自分の「自然に対する見方」を,自分自身で認識することによって,初めて主体的に自然との関わりを考えることができるのではないだろうか。

 従って,ゲストティーチャーが今回語ったような,「現在の環境についての具体的な事実」に重ねて,「ゲストティーチャー自身は野田山の自然をどういう想いを持って見つめているのか」といった話があれば,子供たちは,その思いと自分自身の思いを比較し,環境に対する認識を深めることができたであろう。あるいは,それまで自分の思いに気づいていなかった子供にとっても,環境に対する思いに,目を向けていくきっかけになっていったのではないかと考えられる。そういう学習展開になれば,子供たちの思いは,教師が単元を構想する際に抱いていた価値観へと自然に近づいていくであろう。

 教師が,環境に対する思いを語れば,それは,価値観の押しつけになるだろう。しかし,ゲストティーチャーが語る思いは,実際に現場で関わる人の「生き方」を象徴するものであり,そういう「思い」を受け止めた子供たちは,自分の考え方と照らし合わせて考えていくことができるだろう。同じ内容を語っても,教師とゲストティーチャーでは,子供の受け取り方は全く変わってくるのである。


 つまり,教師とゲストティ−チャーが,授業の中でそれぞれどういう役割を果たすか,という明確な視点と共通理解が必要なのだ。





(3) 総合学習の目的は何か

 総合学習の目的は,自分なりの視点で社会を見つめ判断しながら生活していくことにのできる人間,そういう視点をもてる「自分」のある人間の育成にある。実際の学習の場では,調べたり話し合ったりするテーマを決定するときに,子供の想いを最大限生かした方が効果的である。

 教師のねらう価値に近づけるために学習を仕組むのではなく,「子供が自分たちで考え導き出した価値の中に教師のねらう価値も入っていたのだ」となるような学習展開が必要である。

 そういう学習では,子供たちは教師が予想しないような考えを繰り広げ,規制の枠を越えて実に多様な学習を繰り広げることが可能になると思う。従来の学習の枠を飛び出して,自由な発想で追究できる子供の育成こそが,総合学習の求めるところである。



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