第3項  総合学習と情報教育

 


 社会の情報化はわれわれの想像を超える速さで進んでいる。電話回線の光ファイバー化が進むなど,情報ネットワークの基盤整備(インフラ)は年々整備され,コンピュータによるネットワークも拡大し続けている。テクノロジーが分刻みで進展する社会では,現在通用していることが,あっという間に過去の遺物となってしまう。

 そういう,変化の激しい高度情報通信社会に生きる子どもたちにとって,学校で学んだことだけですべてが通用する時代は終わったといってもいいであろう。これからは,社会の変化に対応し,自ら求め学び続ける力を持った子どもの育成を考えなければならない。 従って,学習の在り方も,これまでの「知識を覚えるもの」から,「学び方を学び,自ら学んでいくもの」へと根本的に変えていかなければならないということである。



 富山大学教育学部附属教育実践研究指導センター長であり,中教審委員も務める山極隆氏(富山大学教授)は,大学院講義「教育方法学特論」の中で,中教審の性格を次のように説明している。

「中教審のもっとも基本的な考え方を端的に言えば『自分で選択する』ことである。学習のシステムなり,内容なりに多様な選択肢を生み出し,子どもが自分で求めるものを選択しながら学習していく,そういう教育環境を作ろうという理念が,根底にながれている。

 高校・大学入試制度を改革したのもそういう理念からである。17歳の入学を認めたのは,自分の力を早くもっと伸ばしたいと思う子どもに選択肢を用意するためであるし,中高一貫校の設置を提言したのも,6年間という長いサイクルにおいて学習課程が工夫された学校を設置することで,子供の選択肢をふやそうという考えからである。新たなエリートを創出しようという考えからでは,決してない。入試の仕組み自体を変えてしまって,高校や中学も「学び方を学ぶための学習」を仕組まざるを得ないようにしてしまおうというのが,中教審のいう『入試制度の改革』なのである。」




 中教審によって大きくクローズアップされた「総合学習」も,生きる力を高めるため選択肢の一つとして,しかも,中心になるものとして位置づけられているのだと,わたしは考える。

 「総合学習」ではその内容として「環境」「国際理解」「ボランティア」等が例としてあげられているが,これらはあくまで例であって,各学校が独自のカリキュラムを立てることが可能になる。学校なり教師なりが,子どもの思いを組み入れて,教材なりテーマなりを『選択する』ことになる。教師自身の「生きる力」をも,問われることになっていくのである。

 こういった環境で繰り広げられる学習は,あるテーマをもとに,自分たちで課題を見つけ追求していく学習が中心になるであろう。そういう学習の中で,もっとも必要とされる力は,様々なメディアから情報を収集し,選択し,表現・発信する力,つまり『情報活用能力』ではないだろうか。

 以上のことから,これからの教育を見すえた,「情報教育」の方向性を考える場合には,「総合教育」との関わりを抜きにすることはできないと考える。

 情報教育の目的は,これまで述べてきたように「情報活用能力の育成」にある。従って,教科や領域として扱うよりも,むしろ,「総合学習」を含めて日常のすべての学習場面において考慮した方が,より効果的に子供の能力を高めることができると考えられている。



 さて,それでは,実際のところ「総合学習」にはどのような実践があるのだろうか。次章では,具体的な事例を通して総合学習について考えてみたい。




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