第2項  キーワードは「情報活用能力」


 先の中央教育審議会(以下「中教審」)答申にも,情報化が高度に進み,通信ネットワークを介して情報が流通することが当然の社会を予想している。そういう社会で生きる子供たちへの「情報教育」は「高度情報通信社会で生き抜くことのできる資質を育てる教育」であるといえる。つまり,「生きる力」の大きな柱の一つとして「情報活用能力」を身につけさせていこうということなのである。 「情報活用能力」については「情報教育に関する手引き(文部省,平成3)」の中で以下のように定義づけられている。

@ 情報の判断,選択,整理,処理能力及び新たな情報の創造,伝達能力
A 情報化社会の特質,情報化の社会や人間に対する影響の理解
B 情報の重要性の認識,情報に対する責任感
C 情報科学の基礎及び情報手段(特にコンピュータ)の特徴の理解,基本的な操作能力の習得


 コンピュータのネットワーク化により,@ABについてもコンピュータの関わりが増大している。平成3年に考えられた「情報活用能力」の定義が,わずか6年にしてすでに時代にそぐわないものになっているあたりに,社会が情報化するスピードの速さを感じる。


 堀田氏は前項にもふれた論文の中で,情報教育の本質について次のように述べている。

「この『情報活用能力』をさらに端的に言いかえると,@身の回りから情報を上手に選択しA再利用しやすいように整理し,B相手に伝わるように表現したりする能力のことである。

 従って,情報教育はコンピュータの操作を教えることを目的にしているわけではない。 あるワープロで『センタリング』ができることよりも,ここはタイトルだから真ん中に書いた方がわかりやすいなと気づくことに本質がある。そして,子供たちにこのようなことを意識させるような教材の工夫や授業の展開が必要になってくるのである。」


 このことを学習の中に位置づけて考えると,例えば,「コンピュータで宿泊学習の新聞を書こう」という授業を仕組んだときに,問題になるのは,「どのような機能を使って表現するか」ではなく,「どんな思い出を新聞に載せればいいか」「その思いを表現するためにはどんな工夫をしたらいいか」だということである。
 社会科で,インターネットなどを活用し,コンピュータを使って資料を調べるような場面があったときに,調べたことを単にノートに書き写すのではなく,「そのことからどう考えたか」「他の子供の考えと比べてどうか」に焦点を当てるべきだということである。また,こういう授業の場合は,全員がコンピュータを使う必要はない。図書館へ行って調べてもいいし,誰かにインタビューしてもかまわない。コンピュータは道具の一つにすぎないのである。


 コンピュータを教育で活用することの有効性は,情報を整理し,発信していく過程の中で,自分の思いを表現したり,再発見したりできることにある。情報を主体的に求め,表現していく能力を身につけることが情報教育の本質なのである。そして,こういう主体的な学習を進めていくためには,「自分が何を求めているのか」を内省し,そういう自分の思いを的確に表現できる「自分を見いだせる子供」の育成が求められるのである。

 コンピュータに限らず,情報の海の中で「自分さがしの旅」を続け,よりよい自分を求めていこうとする人間の育成が,今求められているのである。




 目次へ     前ページ     次ページ