第4節  学校でコンピュータを活用した教育に取り組む必要があるか


第1項  操作性の向上とマルチメディア



 今から,約15年ぐらい前にも,コンピュータがブームとなり,学校に導入が図られた時期があった。しかし,そのころのコンピュータは,プログラムやコマンドについてのかなりの知識を必要とし,真っ黒い画面に呪文のような記号を打ち込む,今となってはとても扱いにくい代物であった。

 またアプリケーション・ソフトは価格が高く,教育用ソフトもあまり充実していないという状況であった。子どもが活用するどころか,教材の開発や事務処理機としての活用すら難しく,一般化を図ることは到底不可能な状況であったように思う。このときのコンピュータの負のイメージは,かなり決定的で,多くの教員に「自分はコンピュータとは一生縁がない」と固く意識付かせるに十分であった。  

 その後OS(オペレーティングシステム,コンピュータを動かすための基本ソフトウェア)が進歩し,使い勝手は向上したものの,普及には至らなかった。アップル社のMachintoshのように使い易いユーザーインタフェイス(利用者の操作性)を意識したコンピュータも登場したが,コスト高のせいか,以前の失敗に懲りたためか,富山市では導入される機会がなかった。このコンピュータを巡る状況を決定的に変えたのが,『Windows』というOSの登場である。 『Wondows』の登場によってコンピュータはその性格を大きく変えることになった。



 第1の変化は,コンピュータのマルチメディア化である。

 それまでのコンピュータは,前述したように,基本的には黒い画面がベースとなり,画像もせいぜい16色程度と大変味気ないもので,操作性もよくなかった。しかし,『Windows』によるマルチメディアコンピュータでは,フルカラーによる描画が可能になり,文字データやイラスト,写真,音声や動画までが一つの画面に表示できるようになった。

 こうして『Windows』の登場によって、コンピュータの操作性は、飛躍的に向上した。これまでのコマンド入力とちがい,画面にうつる絵ボタン(アイコンという)をクリックすることによって、直感的な操作で簡単にアプリケーションを起動したりコマンドを実行したりできるようになったのである。マルチメディアコンピュータの登場は,これまでのコンピュータのイメージを大きく変革させるものであった。メンテナンスには,OSの知識が必要になるなど,いまだに扱いにくい部分がないわけではない。しかし,利用者の使い勝手を考えたインタフェイスの登場は,コンピュータを大変身近なものに引き寄せたと言えるだろう。




 堀田龍也氏(富山大学教育学部講師)は講義「教育情報科学(教職)」の中で,コンピュータがマルチメディア化したことの教育的な意味として次の3点を挙げている。


@ モードの違う情報を扱う  
  文字・絵・動画等のモードの違ういろいろな種類の情報、作動する道具(テキストやお絵かき、VTR、ワープロ等)を同時に扱うことができる。「文章だけでは理解できないものが絵で示される」「写真だけでは理解できないものに説明の文章がついている」など多面的な理解につながるということがいえるだろう。


A ハイパー構造である
 既存のコンピュータは,データAからB,C,D・・・へと直線的に進む「リニア構造」であった。しかし,マルチメディアコンピュータは,ボタンをクリックすることで,データとデータの間を自由に行き来することができる「ハイパー構造」になっている。また,ボタンを付けることによっていろいろなモードを起動することができる。
 ここでは,学習内容の関係を学習することができるし,学習者がやりたいことを決めなければ先に進まないので,主体的に学習に取り組むことができる。また,あるものをクリックすると進むので、情報と情報、知識と知識の関係を把握し、構造的に関係を覚えていくことができる。


B インタラクティブ(双方向的)である
 コンピュータを使う人間側からの問いかけによって何かが起こること。逆を言えば,使用者が何もしなければ、何もおこらないわけで,人間が主体となってコンピュータを扱うことができる。コンピュータが最初に動くか、人間側が先に取りかかるかによって,教育的な意味は大きくかわってくることであろう。
 他種類のモードとハイパー構造をうまく活用することによって,自分の考えを相手に効果的に伝えることができる。表現し,自分の思いを確かめていく中で,自己のアイデンティティを見いだしていくことも可能となる。そういう,自分さがしの表現の道具としてもコンピュータは有効に活用できるであろう。



 今後,『Windows』がバージョンアップする度(1998年には『Windows98』が登場する。開発にあったっているMicrosoft社ではすでに『Windows2000』の開発にも取り組んでいるという)に,操作性はますます向上していくであろう。10年もあれば,コンピュータは今のテレビやビデオ程度の操作で,メンテナンスを気にせず使うことができるようになるかもしれない。

 こうして社会の中にコンピュータが行き渡ると同時に,コンピュータの操作性が向上してきたことは理解できた。しかし,そのことが「コンピュータを教育の現場で活用する必要があるか」という問いへの答えとはなっていない。マルチメディア化によって,確かに表現の道具としての可能性は広がった。しかし,文字と画像を同時に扱うような表現は,画用紙とサインペン,色鉛筆などの従来のメディアを使っても十分可能である。コンピュータの操作のためにかかるであろう多くの時間を割いてまで,取り組む必要が本当にあるのかには,まだ疑問がある。

「マルチメディアコンピュータとはいえ,その主な用途は,ワープロに使うか、絵を描いてみるか、ゲームをするか程度にすぎないのではないか」
「文字をうつならワープロ専用機で十分だし,なにもみんながコンピュータを使う必要はないのではないだろうか」
という思いを持っている人も,教育の現場には多くいることであろう。


 実は、わたし自身も少し前までそう思っていた。機械の機能はどんどん充実していく時代である。どんなワープロで作ったファイルでも,ファイルの形式を変換すれば、人からもらったデータを活用できる。「コンピュータなんてしょせん趣味の延長ではないか」「大人になってから、やりたい人だけやればいいのではないか」というのが、自分の率直な考え方であった。

 そこへ登場したのが,第2の変化,インターネットである。



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