第3項  情報富者と情報貧者



 では,「コンピュータを活用する能力」を身に付けないまま過ごした子供と,そうでない子供の間には,将来的にどのような状況がおこると予想されるであろうか。
 企業のネットワーク化が進んでいく以上,採用の基準として,コンピュータ活用能力の有無は,大きく影響して来るであろう。実際,現在でも日本電気(NEC)などのハイテク関連企業では,ワープロ,グラフィックといった程度のコンピュータを扱う能力は,もう『あって当たり前』と考えているという。そして,そういう能力を使ってどんなことをしたいかという考えを持てるか,柔軟な発想でよりよい生き方を求めることができるかどうかが,採用の際に考慮されるようになってきたという。

 知識は豊富だが自分で思考しない人間よりも,想像力や創造力,判断力などを持ち,自己を向上させようと努める人間を求めているのである。ここで,注意したいのは,コンピュータを扱う能力を持っていることが前提になった上で,人間性を第一義にあげていることである。



 生活の点で考えると,どうなるだろうか。インターネット上には,前述したとおりに実に多くの情報がある。
 
 例えば,どこかへ旅行に行こうと考えたときに,ホームページを検索すれば,航空機の空席情報が手に入るし(現在は日本航空のみだが,やがては他社もこういうホームページを開設することであろう)そのまま,座席を予約することもできる。さらには,格安航空券を販売している情報や,安くてサービスのよい宿泊先の情報が得られるであろう。また,別のページでは,それらの情報が信頼に足りるものかについての経験を発信しているものもあるだろう。

JAL(日本航空)のインターネット予約サービス・ホームページ



 こういう「コンピュータ活用能力」の有無からくる差別化について,山西潤一氏(富山大学教育学部教授)は,講義「教育システム科学」の中で,
「情報を活用できる人間は,いつでも有益な情報を手に入れられるし,そうでない人間は,そういう情報があることさえ知らないまま生活していくことになる。かくして,情報を日常的に手に入れられる人間の生活水準は向上し,そうでない人間の生活水準は相対的に低下すると考えられる。その結果,情報富者と情報貧者の差別化が起こる。」
と述べている。



 自動車の運転免許のことを考えて見るといい。車の運転ができなくても,仕事も生活もできる。しかし,車の運転ができれば,職種によっては効率よく仕事ができるし(富山で公共交通機関を使って営業に回るのと,車に乗って回るときの効率のちがいを考えるとよい),時間を気にせずどこかへ出かけたり,手では持ち運べないような大きさのものでも買い求めて自分で持ち帰ることができる。われわれは車を運転できることによって,より豊かな生活を享受しているわけである。 

 ちょうど,これと同じことがコンピュータにも当てはまる。しかもコンピュータが,電話やファクシミリを発展させたような情報端末になったとき(これは,かなり高い確率でそうなると予想されている),その有用性は,自動車運転免許に勝るとも劣らないであろう。したがって,コンピュータを活用する能力,ひいては情報を活用する能力を身につけることは,21世紀を生きる子供たちにとって大変重要なことなのである。


 山西氏は,先述の講義の中で,情報教育を学校教育の中で取り上げる必要性について,
「現在ではまだ,各家庭にコンピュータがあるという環境にはない。また,将来的にもコンピュータを持たない家庭は存在するであろう。様々な家庭環境にある子供たちに,等しく情報について学ぶ機会を得られるようにするためには,学校教育がその場を提供するしかないのである。」
と語っているが,全く同感である。  


 以上のように見てくると,次は,今の学校で,どんなことをどんな風に学べばいいかということが問題になってくる。




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