シンポジウム「総合学習はこれからの教育の起爆剤となりうるか」
パネリスト
山極 隆氏(富山大学教育実践研究指導センター所長,中教審委員,教課審委員)
北 俊夫氏(文部省初等中等教育局教科調査官)
小林 毅夫氏(上越市立大手町小学校長)
浜田 純氏(秋田大学教育学部附属幼稚園副園長)
という豪華な顔ぶれ。 どんな話が飛びだしたか,ご自分の目でお確かめを。
安 藤 総合学習について今感じていることをお話ください。 山 極 教育課程審議会は大詰めに来ている。総合的な学習の導入については,小学校では取り組みが始まっていて障壁はないが,中学校はひどい。高校には総合学科があるので,まあまあ大丈夫ではないか。
小学校では,総合的な学習の時間が,3,4年生で年間105時間,5,6年生で110時間位置付いている。社会科,理科の現在の時数よりも多い。うまくいくかどうかにこれからの教育の命運がかかっている。
「教科を減らしてまでどうしてやるのか」と言われるのか「もっとやってくれ」と言われるのか,どちらの反応になるのかは教員の努力次第である。北 中教審で総合的な学習が言われてから,ほぼ2年経つ。
生活科ができたときには,賛否両論が渦巻いていたのに対して,総合的な学習に対しては波風がない。総合的な学習は,小中高と全てに導入されるし,時数の変化もあるのに,この静けさは心配である。新しいものを生み出すには,賛否はともかくエネルギーが必要である。
総合学習は何を提起しているか。
どういうことをやるかは,地域・実態に応じて各学校が判断する。これまでの基準=指導要領にはない発想が要求される。
「自由」がポイント。他校と横並びではなく,文部省のいう内容を上から下に伝えるものでもない。各校が自校のカリキュラムを考えなければならない。教師がそのことを「大変」と考えるか「やりがいがある」と考えるかで,学習の質が違ってくる。
地域とのつながりの中で,それぞれの学校の力量が問われる学習活動である。附属小では,「竹」をキーワードに関連する学習を考えている。(竹で食べる。音を出す。竹馬で体力を付ける)何をキーにして学習を仕組むかが大事になってくる。難しいのは,「竹」でどの学校もできるわけではないということである。小林 大手町小では,文部省の許しをいただいて総合的な学習に取り組んでいるが,文部省がやれと言われるから,やるわけではない。教科の枠を越えて子供に取り組んでほしい学習,これで子供が伸びるという学習を考えている。
子供に個性を求める以上,教師集団にも個性化が求められる。教育にも規制緩和が持ち込まれているわけであり,単に文部省の内容に従うだけではなく,教師の生きる力が求められている。
時数報告を行っているが,それも,保護者や児童に対して,本校ではこれだけ学習に取り組んでいますよと報告する責任があるのである。浜 田 養護学校の生活単元学習では,社会の中で自立していける力を養うのが目的である。しかし,養護学校に勤務した当初は,何をしていいかわからなかったので,毎日遊ぶことにした。
男子が相撲好きだったので,相撲で単元を考えた。国語で番付を書き,図工で横断幕を作り,それを修学旅行に持っていって国技館に掲げたらTVで放映されて大反響になった。興味・関心と体験をつなぐとエネルギーが高まる。
中教審の中間まとめで,「例えば,国際理解,外国語,環境・・・など」とあるが,この「例えば」と「など」の言葉は何を意味するのか?山 極 総合的な学習を云々する以前に,各教科そのものが総合的なことをまず認識してもらいたい。教科における多面的な見方を指導しないままで,総合学習と騒いでもだめ。
本に書いてないことを言うと,中教審でも最初から総合的な学習を言っていたわけではない。国算の基礎もできていないのに,時数を割けるかという発言があった。今回の改訂では,教科の再編は行われないことになったが,小学校で外国語教育,情報教育をする時間を生み出そうというのが始まりであった。
次に考えたのが情報化。我が国ではパソコンもろくにないが,アメリカでは小学校から教室にインターネットを持ち込んで情報教育をやっている。そういう学習ができる場としての総合学習。
従って,総合学習は,小学校の外国語教育,情報教育をどうするかが出発点であった。
これからの学校は,説明責任,結果責任を持たなければならない。ひとりよがりの学習で教師が自己満足する時代は終わった。
全ての学校は地域住民の意向を反映してほしい。学校の目標,教育活動に保護者の意向を取り入れ,実際にどのように取り組んでいるかを説明できるようにしなければならない。学習の結果についても,地域住民に「ここまでできるようになりました」「こういう力がつきました」と説明できるようにしなければならない。それぐらいの覚悟がこれからは必要。
「例」については,例はあくまで例である。総合学習のねらいは教育活動に位置付かなければならないし,時数もはっきり位置付いているが,細かいことは各校で考えればよいことである。浜 田 総合学習の授業に共通するものとして,@地域教材,A体験的活動,B一人一人の学習の成立,がある。この3つは,生活科を他学年に発展させるために必要な3要素である。
どれだけ他教科とネットワークできる教材を使っているかが大事になる。教科と相互にフィードバックすることで,総合的に力が高まる。そういう学習を構成できる教師の資質が重視されるし,年間計画を構想する際には,教師間のネットワークも必要になる。小 林 英語・情報などの上からトップダウンで内容が降りてくる総合学習は発想が逆である。子供の思考は,「こういうことを知りたい」→「インターネットを使おう」という話になる。
活動中心,方法中心,クロスカリキュラム,テーマ学習など,各自が様々な方法で試行錯誤しながら取り組み,その成果を附小に持ち寄って討論し合う場になるといい。
総合学習の基本は,価値ある体験をどう取り入れるか,追求する中身をどうするか,外への発信つまり表現をどうするかにある。
自分たちで採集したものだけを食べて一日を過ごすと,子供たちは飢える。その飢えから命の大切さに目を向けていく。
川というのもよい題材である。上流から下流をたどる人形の旅を物語にしようと言う学習では,環境と人間の調和と言う視点が生まれてきた。水 上 カリキュラムをどうやって作るかが問題になり,キーワードを考え出した。 荒 治 つながりのある教科の洗い出しを行い,つながりのもてる単元を考えた。 宮 崎 自分の小さいときの経験で,家の回りが竹やぶだらけであっていつも遊んでいたことをもとに教材化することを考えた。自分が思っていた以上の発見があり,思いのふくらみが見られた。
子供たちの竹に対する思いとつきあいながら1年を過ごしたい。北 学校としてのキーワードをどう作るか,子供が必要感を持つような何をどう取り上げるか。
「なぜ総合学習なのか」という声が出たとき,保護者住民にどう参画してもらうかを考えずして,カリキュラムは考えられない。
例えば,外国語を入れる,入れないということに関して保護者は強い関心をもつだろう。学校の立てたカリキュラムに保護者を巻き込むのではなく,カリキュラムを作る過程で保護者の意向を組み入れていくシステムを作る必要がある。これからの学校は,地域はどうあるべきかを考えよう。
文部省に夏休みの宿題の自由研究はどうやればいいのかという問い合わせの電話があった。こういう課題を出すからには,自由研究ができる力を付けておかなければならないが,今まで,我々は,そういう力を付けないまま課題を出していなかったか。
教科横断的なテーマで自由研究できる力をつけるのが総合学習であり,そういう力を持つことが,学習者自身がテーマを見つけ学び続ける「生涯学習」へとつながるのである。質 問 外国語教育の必要性から総合学習は始まったというが,外国語教育は必ず取り上げなければならないのか? 山 極 出発点はそうだったが,それをやらなければならないということではない。
何を取り上げるかは,文部省がとやかく言う筋合いのことではない。ただ,21世紀の国際競争社会でたじろがない力の基礎として,外国語の必要性をいうのは当然のことである。
アメリカ,イギリスの例から,将来の日本のことを考えると,こういうことは必要なんじゃないかなという主張である。質 問 カリキュラムに地域の意向を入れるときに,学校の考える育てたい力とのちがいがあるときには,どうしたらよいだろうか。 山 極 開かれた学校が求められているが,施設のことをいっているのではない。
PTAは子供を人質に取られているから思い切ったことを言えない。学校運営委員会を組織し,地域を代表する人に参加してもらうとよい。地域を形作っていく人々の声を学校に反映していけば,地域に見守られながら,力強い教育が行われる。
世の中全体に規制緩和がいわれるが,教育にもその波は押し寄せており,やがては,学校も選択される時代がくる。子供の集まる学校と,そうでない学校が出現する。
子供の集まる学校にするためには,教師がやりたいことをやるのではなく,地域の意見を採り入れながら,子供が自分から学ぶ,魅力のある学校づくりをすることが大事になってくる。
これからは,地域にもっと学校のファンを増やさなければならない。そういうことをコーディネートできるような管理職のリーダーシップが求められる時代がくる。研究授業も教員に対してではなく,地域に開かれるようになるとよい。質 問 教科のねらいと総合的な学習のねらいとのつながりをどうとらえるか。
総合では,子供が高まった手応えがない。教科に生きる,教科に帰る力をつける必要があるのではないか。
総合の時間を作ったばかりに,今年は何をするのかばかり考え,イベント化してしまうのではないか。教科を総合的に考えることでできるのでないか。北 なぜ,総合学習に今日的教育課題を取り上げるのか。
人生の先輩として子供たちに身につけてほしい資質−環境,国際理解など−を高めることは,全教育活動で行うことができる。実践することを考えると,教科ごとにバラバラなのは面倒。ひとまとめにした方が現代的な問題への社会認識が深まる。また,全教育活動で扱うということは,どこでもやらない可能性もある。
故に総合的な学習で現代的問題を取り上げる。
社会科のゴミについての内容は次の要領に残るのか。環境に深く関わるが,残る。なぜなら,全ての学校の総合学習で環境の学習をするという保証はないからである。
総合学習のとらえ方。生活科の総合とは意味合いが違う。低学年は発達が未分化なので,教科分化的なとらえ方をしない方がよいから,生活科で総合的な学習を行っている。小3から高校では,各教科で身につけたことを総合化する。小 林 できることから始める。理科を総合と考えて105時間をつぎ込んでもいいし,米作りというテーマで考えてもよい。自由の中には,やらない自由もある。確かにできることから取り組んで,自分の学校の総合学習を育てていく。
大手町小では,知識技能を身につける学習をおよそ70%,総合で自由に取り組む学習をおよそ30%と考え,おおらかなバランスをとるよう図っている。中学校に行った子供が荒れないように算数はしっかり学習する。
これからの課題としては,特に−心の健康も含めた−「健康」を取り上げている。浜 田 教師の資質と総合学習について。生活科が始まったとき,これが授業かという声があった。でも,それは見方,考え方がなかったからそういう声が起こったのである。
幼稚園では,先生が子供を分析的に見ている。かけっこする子供を見て,身体の発達−大きくなったな−,運動機能−速く走れるようになったな−,人間関係−この子と遊べるようになったんだな−,などを同時に見ている。未分化の子は総合的に扱う必要がある。
総合できる力は,総合できる先生によって感化され身に付いていく。
富大附小の先生に質問。富大附小の先生は,総合的な学習を起爆剤と考えたか。曲 師 算数では理解がないと先に進めない。他教科ともなかなか関連しない。
子供自身は大変喜んでいたが,2,3学期にもう一度と言われると,すごく苦労するなぁと思う。教師の資質といわれるがまさにその通り。水上 算数とは,国語とは,と言っていてはいけない。6年間のどの段階に何を学ぶかという視点を持つべきである。 山 極 かしこまっても,できないものはできない。教員の資質は急には向上しない。課題そのものが総合的である。
@小学校では教科の指導はしっかり行う。必要なことはしっかり教え諭さないと,中学校,高校で困る。教科の中でも,関わり合いという視点で総合化を図る。教科固有の知の定着をしっかりはかることは大事である。「教室には教壇を置いて,しっかり教えることも大事なことなんですよ」
A新たな知の創造。算数の中にコンピュータを入れようとか,音楽でコンピュータを使って作曲をしようとか,教科に新たなる別の要素,時間を入れて,新しい知を創造する。
B関連づけられた知の創造。小学校ではすでにやっている。中学校では,なかなか動きがない(「ありゃ,だめだな」)。さらに上の学校では,知をフル回転させて何かのテーマを追求する学習を行う。
以上のことを今すでにやっているとしたら,それを再整理したらいいと考えればよい。大上段に「総合とは」と構える必要はない。自分たちが,これは総合学習なんだと思えばそれでいい。先生のその取り組みをジャッジするのは,子供であり,保護者であり,地域である。
「まず,おやりなさい」北 総合学習では,各教科で学んだことを総合化する。故に,教科を充実させないといけない。知の基礎・基本が重視されるということである。従って教科と一緒に研究を進めていく必要がある。
総合学習に25年間取り組んできたある国立大学の附属小学校の先生が雑誌にこんなことを載せている。「本校の総合学習は時とともに停滞してきている。始まった頃は子供がもっとも楽しみにしている時間であったが,現在は時間つぶしになっている。担任にやりたいことがあってうずうずしていた頃はよかったが,やりたいことをしつくしてしまうと,時間を持て余すようになった。行事の練習や教科学習の下請けの時間として使われるようになった。」
この学校と同じ轍を踏まないように,地道に取り組んでほしい。そのためには,授業を変えるだけではなく,学校を変えるのだという視点を持つことが大切である。