特別講演 21世紀の曙、E-Learningメディアは学校をどう変えるか(永野和男:聖心女子大学)
2001.8.11@品川きゅりあん
(キーワードは規制緩和) 教育も競争の時代、
(教育改革の大きな流れの一環〉
- 「制度」 これまでは規制によって保護→規制緩和の方向へ
- 制度が身分や方法を保護する。例:コンピュータの配布、学校規模に関係なくモノが動いたいた。コンピュータを求めていなくても一律に導入されているのが、これまでの社会。導入は大変だが一旦動き始めるとみんなに恩恵が伝わる。同等同格の社会。こういう枠がはずれる。
- 「予算」 すべて同等同格
→ 企画力、説得力
- 使い方をしっかり説明しアクションを起こさないと新しいモノは導入されない。何をしなくても予算が付いてくる時代は終わった。
- 「成果」?自己満足 → 自己評価、他者評価、情報公開
- これまでは成果の公表は必要なかったが、自分たちで獲得したモノに対しては、自己評価や説明責任が必要になってくる。外務省の公金横領=お金の出所や使い方に対する評価が欠けていた。
〈情報化)
- グローバル社会
- 情報公開
- それぞれの社会で起こっていることを、情報のネットワークを使って見に行くことができる。
- 国立大で起こっている仕組み。これまでチェックされなかったモノがされるようになる。高校を回って大学の宣伝をするようになった。大学のシステムが変わってきている。
- 大学で起こっていることは、近い将来小中学校におりてくる。大学では、研究だけでなく、講演など社会貢献が求められ、その情報を公開するようになる。カリキュラム等もすべて公開。
- 小中学校においては、どんなカリキュラムをつくり、どんな能力を身につけようとし、結果としてどういう力が高まったかを公開する時代がやってくる。IMETSのように、有料の研修をどれだけ受けたかが実績になる。これまでは待遇に変化がなかったが、これからは変わっていく。
〈大きな変革の時代〉
- 教育においては、明治維新に匹敵する変化。今は明治維新前夜で、社会がもうすぐひっくり返ることに多くの人は気づいていない。大衆は以外に新しい制度に一斉に慣れてしまう。
- 従来通りであろうと思っている人には驚くことばかり。不安になってしまうかもしれない。
- 大きな変化は人々に不安を与える。世の中の一割ぐらいを10年ぐらいかけて大きく動かしていこうとしている。
- 文部科学省の答申を見ると制度がどう変わるかがわかる
- 画期的なのは「総合的な学習の時間」の設置。現場が「何をしていいかわからない」問いカリキュラムを設置するのは初めて。新しい時代に必要な能力を考えたときに、教科の授業の制度(内容固定、指導主事制度、全国区画一的)では、それは育たない。プロジェクト型の教育観とは整合しない。
- 教科の評価観では、トライアルすることの深さを評価をできない。失敗を認めて長いスパンで取り組む場所としての、総合的な学習の時間
(高校の教科情報)
- 免許が必要
→情報免許を取った人は、他の免許を捨てなければならない。
→特定の教科の人から取得者が多い
- 試験
→マークシートでテストすることの是非。認めると知識教科になってしまう。認めないと取り組まなくなる。旧来の教育観でしか考えていないためこういう問題が起こる。
→情報の教員を育成しても、現職で手当てされてしまうと、必要なくなる。
従来の枠を越えた制度が必要とされていく。
総合の評価項目が示されているが、文部科学省の通達では出ない。教科書はできないけど、ガイドブック的なものができていく。
従来の時間の枠組みとは違った運用方法、評価方法が求められている。
お金はある。総合の計画をし、校長が企画書を書いて申請することによって、予算がおりてくる。
〈情報教育とは〉
- 情報手段はいつまでも変化する
- 従って情報手段を学習するのは情報教育ではない。
- 携帯電話を利用した情報端末。
- 20年先のコンピュータは想像できない
- 人間の扱う情報量を超えている
〈身につけるべきは何なのか〉
- 高校生のメディアを使いこなす実態から
- 携帯電話 100%近くが使っている・電子メールも(ただし携帯メール)
- 大学に入ってくる子供の多くはコンピュータを使っていない。50%程度。
- メディアの扱いを云々しても意味がない。
- メディアリテラシーの二つの側面
- 「読み・書き・そろばん」と言うが「聞き・話し」が入っていない。日本語は環境の中で学習する。「聞き・話し」は環境に関わることによって身についていく。イリテラシー(文盲)=漢文が読めない人間を減らすために教育が行われるようになった。
- 環境と関わることによって身につくリテラシー
- プログラムを考え教えることで身につくリテラシー
「携帯を使う」「情報の意味を考える」というのはどちらのリテラシーなのか。カリキュラムに位置づける、環境を与えることで身につくのは何かを考えるのが大事。
読み書きは国語の時間に教えている。しかし、身体的話し方聴き方は教えない。文脈、社会的な意味、個人と社会との位置づけを学んでいる。情報も同様で、中身に対して文脈の位置づけやモラルなどが教育の対象になる。
〈情報化時代に必要な人材〉
- 新しい情報を発信できる。
- アイディアを持っている。
- 具現化の方略を知っている。(思いつきを馬鹿にしないで肯定的に認めていく。考えることはいいことという思いをいだかせること。まわりのサポートがないとクリエイティブであることをやめてしまう)
- ツールを能力拡大に使いこなす
- コンピュータを情報活用の道具として
- 「コンピュータは虫眼鏡」
- 「コンピュータは鏡」
〈情報に対する技術・態度〉
- 情報を収集・編集・伝達(判断)する機会
自分で考え、自分の方略をモニタする
- 情報の処理にコンピュータを道具として活用する能力
道具としてあらゆる学習の機会に利用
15年前のこの考え方が、今の基礎になっている。
