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加藤助教授
(論点)
1 生活科総合での確かな学び、豊かな学力のとらえ方と関係
2 それを踏まえて、今何が求められるか。何をどう変えていくべきなのか。
(司会者の問題意識はどこにあるか)
豊かさと確かさ 学びと学力 対立軸でとらえる。そうすると教育の本質から遠ざかるのではないか。学びと学力の論議が大人の視点から語られている。子供の視点が弱いと感じた。子供の実態やどう学びたがっているか学びの道筋はどうかといった視点で考えなければならない。子供の視点に立って考えたい。
吉田校長
学校ってなんだろう。友達と学べるところ。
そのためには、安心できる場が欠かせない。友達、先生。居場所がある。人間関係の上に立って学びが保証される。友達とともに学ぶことが重要。
子供の日記の中に学びのきっかけがある。日常の中で不思議だと感じたことの中に見つけた不思議が、テーマになる。教師にとって都合がよいことが、学びになるわけではない。子供にとって切実なときに豊かな学びがある。
カタツムリの不思議について調べた子供の日記。
確かな学び、豊かな学力というときに、構築していくものと、それを支える感性とで育んでいく。プロセスが豊かであるが大事。教師が、予期せぬことを受けとめることで子供は育つ。
寺尾教授
太陽が地球を回っている。月の満ち欠けのわけを知らないなど、科学リテラシーがどんどん落ちている。しっかり生活科をやって、不思議を見つけられる子供は、しっかり科学リテラシーを身につけている。
時間を増やせば伸びるものではない。ダメな授業なら嫌いになる。
子供の学びは豊かになっていない。物事の本質がつかめていない。かなり意図して努力しないと豊かな学びにならない。3つの方策。
1 直接体験を繰り返し行うことが豊かさにつながる。
やり直しができる。カタツムリ、世話を繰り返し行う。カブトムシは、人がさわると雑菌がついて病気になる。
2 人とのかかわりが、豊かさを生む。
ものだけ調べても余りよく分からない。話を聞いてくると、いわれが分かってくる。人を介して価値が見えてくる。自己決定をする。「何をどうするのか」と内容・方法を聞くだけでなく、「なぜそれをするのか」を問いかけると良い。
3 感じたことを語り合っておもしろがる、対話や談話が広がる。
芋がどこまで大きくなるか。「今掘った方がいい?」という問いかけに、正月まで、3年まで→「専門家に聞いてみましょう」人とつながるような働きかけ。
嶋野教授
「総合は、本来の学習ではないと思う。基礎学力の向上が第一であって、総合は不要ではないか。」という中学校教師の投書があった。では、本来の学習とは何か。
「総合のために、興味のないことはしなくても良いという風潮になった。できるようになるまでがんがんやらせる学習が重要だ。」と投書は続いていたが、そういう論調は底が浅い。教育論や教育方法を深く考えようとする姿勢がない。2項対立が議論を浅くしている。
1 豊かな学びは「知を再構築していく」こと。知的な世界はいっぺんには分からない。「少し分かる」という子供の言葉がいい。まだ分からないことがあるということ。これからもどんどんかかわっていくことで、分かっていく。
2 「○○だ。だから○○と言うんだな。」「○○しないとだめだな」「今度はこうしてみよう」どのようにということと、何をということがつながること。何=知識、考え方、が、どのように=文脈になっていくことが大事。小さい子供には体験が必要。
例 今日で具体的になった(=再構築が起こった)。納得できるようになった(=再構築できるようになった)。愛着が生まれる。
3 科学的リテラシーだけでは学びにならない。
科学の目と生活の目をつなげること。
風とはなんだろう。科学=空気の動き 生活=音(風鈴、木をこする音)動き(水面の波紋、枝の揺れ)匂い、感触。五感を通した学び。
加藤助教授
切れない学び、切実性。みんながいるから学べる学び。知の再構築。文脈。その子にとってのストーリー性のある学びが大事。
確かな学力について。某先生「同じ低学年でも全然違う。2年は見通しをもってできる子供が増えてくる。そうでない子供もいる。」今、目の前の子供に必要な学力があるのではないか。子供の視点から見れば違った学力があるのでは。
吉田校長
身につけたい力のひとつは、自分なりの考えをもつこと。「わたしはこう思う。」という仮説的な考え方が年齢なりにできる。自分の考えがないと友達の話を聞き取れない。
嶋野教授
子供自身が「今日はいいことを学んだ」とつぶやけるかどうか。何を言うのか。
高校生が忘れられないこと「きなこが大豆からできることを知った」「きなこと大豆は知っていたけど、それがつながっていることを知ったのが大発見」。知った知識もうれしいが、発見だったという喜びがすごい。どういう風にして学んだかという学び方とか、つながりとか、そういうものに気付いたことが大きい。
具体例に置き換えないと、授業に具現化できない。どれが確かな学力かを説明するにはまだ遠い。
寺尾教授
物事をつなげて考えて本質をつかみ出す。
例 大阪の研究会での1年生。「種をひとつまいたけど、芽が14出たよ」。本葉が14枚出たということ。この子供の言葉をどう受けとめるか。
加藤助教授
生活科、総合の今後の課題についてお願いしたい。
嶋野教授
形骸化。形があって、中身がない。愛着といってもいい。子供の言動に起点を置いた愛着になっていない。本質が見えないから些末が問題になる。
存在意義が分からなければ、しっかり取り組めない。教師が意図をもって子供に働きかけて学習のねらいを実現させていく営み。教師がまず、ちゃんと意図を持っていなければならない。そして、働きかけていかなければならない。
何でもかんでもやらせればよいというのは乱暴。そんなに浅くない。意図をどこに反映させるかが大事である。そのため方策は以下の通り。
1 子供への教師の言葉かけ
2 活動に反映させなければならない。作っては遊び、直しては作る(試行錯誤する)ことが大事
3 学習の場、構成に教師の意図を反映させる。
4 教材、教具に意図をかける。どんな教材を持ち込むか。指輪を作った子供に、宝石箱に入れてみせると、意欲は高まる。
5 子供の可能性に期待する。
2,3,4がないと、1も殺伐とする。この5つをうまく組み合わせる。
本質に建って、どうすれば教師が意図を反映させられるか、意図のかけ方が重要になっている、形骸化を絶対させてはいけない。
寺尾教授
無理矢理やらせる、子供のやる気に任せる、という対立は、ずっとある。そこをどう解くか=生活・総合をどう見るか。総合で身につけさせる力、身に付く力。上手な指導の中で結果として身に付く。指導しない生活科、総合に陥ってはいけない。
確かな学力、100マスだけではだめ。原稿なしで人前で話せる力が、生涯に生きる力になる。
教師が自分の指導を厳密にとらえる。自己評価が流行り。どんなことをしているのか、カードを配って書かせる。自分で書くからといって自己評価ではない。自分のめあての達成具合に対して評価するもの。教師が自分の知りたいことだけを書かせるのは、自己評価と言えるか。
吉田校長
課題は3つ。
1 なぜ、教科生活科、総合が必要だったのか。原点を見る。
2 豊かな学びをつくる子供、を指導する教師に置き換えてもいい。教師が伸びることが一番求められている。
3 子供の興味からスタート。気付きを広い広げ、認識へ。気付きを広げる。
(考察)
学力かゆとりかという2項対立軸は、実は対立するものではなく、共存するべきものだと兼ねてから思っていた。両者がバランス良く取り入れられることによって、子どもたちの力は伸びていく。学力低下論争においても、市川伸一の論に見られるように、第3の軸があったが、それはマスコミにはあまり取り上げられることがなかった。「対立」は単純でわかりやすい上に、センセーショナルにあおりやすい。しかし、そういう論調にだまされてはいけないと思う。
今回のシンポジウムでは、嶋野先生のお話がわかりやすく、納得できる部分も多かった。愛媛の総合は、生活科からの発展過渡期で、軌道に乗り始めたばかりといった印象が強かった。子供を語るばかりではなく、そういう子供の姿を可能にした教師の支援や、教科とのフィードバック的関連が説明可能になれば、総合の研究は更に深まると感じた。